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浦和地方裁判所 昭和45年(ワ)664号 判決

原告

絵鳩正勝

被告

田口栄一郎

ほか一名

主文

一、被告らは、各自、原告に対し金二、二六一、一七〇円およびこれに対する昭和四五年一一月九日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

四、この判決は、原告において各被告に対しそれぞれ金二〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一、請求の趣旨およびこれに対する答弁

原告訴訟代理人は、「被告らは各自原告に対し、金三四五万三、八三二円および右金員に対する昭和四五年一一月九日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二、請求原因

一、事故の発生

被告田口栄一郎(以下被告田口という)は、昭和四四年一月二六日午後九時四〇分頃、小型自家用乗用車(埼五り六七一七―以下事故車という)に原告および被告古沢広司(以下被告古沢という)他一名を同乗させた上、これを運転して埼玉県北葛飾郡栗橋町大字高柳二四七六番地先国道を加須方面から栗橋方面に向かつて走行中、前方路上に飛出した猫を避けようとして急にハンドルを右にきつたため、約五〇メートル暴走して横転し、よつて原告に対し頭蓋底骨折併脳傷、鞭打ち損傷、右肩挫傷、胸部挫傷、腰部挫傷の各傷害を与えた。原告は右傷害治療のため事故発生当日より同年一〇月一二日まで入院加療、現在も通院加療のやむなきに至つた。

二、被告らの責任

被告田口は、事故車を運転し、かつ運転を誤つて本件事故を惹起したのであつて、民法第七〇九条により、被告古沢は事故車の保有者であり、かつ事故当時事故車を使用していたのであるから事故車を自己の運行の用に供していたものとして、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)第三条にもとずき、それぞれ右事故により原告が蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

三、損害

(一)  治療費等

1 治療費

原告が、前記傷害の治療のため、昭和四四年一月二六日より同年一〇月一二日まで埼玉県北葛飾郡幸手町所在の秋谷病院に入院し、退院後昭和四五年七月三一日まで通院した際に要した治療費として金八〇〇、八六〇円を支払い、同額の損害を蒙つた。

2 諸雑費

原告は、右入院期間中、一日平均三〇〇円として料金七八、〇〇〇円を入院生活必需品および栄養費として支出し、同額の損害を蒙つた。

3 通院交通費

原告は、右病院退院の翌日より昭和四五年一月末日までの間、東京都板橋区三丁目一一番五号の原告の兄たる訴外絵鳩元三宅より前記病院に一四回通院した際に要した交通費として一回往復金四〇〇円合計金五、六〇〇円および昭和四五年二月一日より同年七月末までの間埼玉県鳩ケ谷市南六丁目一八番地より右病院に一七回通院した際に要した交通費として一回往復金三八〇円合計金六、四六〇円をそれぞれ支出し、同額の損害を蒙つた。

(二)  逸失利益

原告は、訴外大和三光製作所(以下訴外会社という)に工員として勤務していた者であるが、本件事故により昭和四四年一月二八日より翌年一月末日まで就業不可能となつた。そこで原告は、右訴外会社の給与規定に基き、昭和四四年一月二八日より同年四月二〇日までの間一日金一、二八〇円の割合による六〇日分、同年四月二一日より昭和四五年一月末日までの間一日金一、五六〇円の割合による二三二日分の得べかりし給料合計金四四一、四五二円と、昭和四四年冬期分および昭和四五年夏期分の賞与として得べかりし給与合計金二二四、五六〇円をそれぞれ失なつたが、訴外会社の給与規定により本件事故の見舞金等として合計金一五五、一〇〇円の支払をうけているのでその差額たる金五一〇、九一二円の得べかりし利益を失なつた。

(三)  慰藉料

原告は、本件事故により入院加療二六〇日間、昭和四四年一〇月一三日より翌年七月末日までの間三一回の通院加療のやむなきに至つた。更に現在に至るも後遺症が全治せず、事故前の如き仕事に就くことは不可能である。従つて原告の肉体的ならびに精神的苦痛は、将来の生活も考え合せればはかり知れないものがあり、慰藉料は金二、五五二、〇〇〇円が相当である。

四、損害の填補

原告は、強制賠償保険で金五〇〇、〇〇〇円の支払をうけ、これを右損害に填補した。

五、結論

よつて、原告は、被告らに対し各自、前記三の(一)(二)(三)の合計額金三、九五三、八三二円から四の金五〇〇、〇〇〇円を控除した金三、四五三、八三二円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四五年一一月九日以降支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する答弁

原告主張の日時、場所において本件事故が発生したこと、被告古沢が事故車の所有者であること、および右被告が事故当時事故車に同乗していたのであるから、右事故車を自己のため運行の用に供していたことは認め、原告の傷害の部位、程度および原告が入院して加療していた事実はいずれも知らない。その余の事実はすべて否認する。

第四、抗弁

一、無責の抗弁

原告は、事故発生時点においては運転席にすわらずまた操縦していなかつたものの、被告らと交互に運転しながらドライブを楽しんでいたのである。従つて、原告は、依然事故車を運転する権限と義務を保持していたものであり、事故車の運転手としての地位を離脱していたものではない。よつて、原告は自賠法第三条にもとずいては賠償を求めうる第三者ではない。

二、過失相殺

かりに前項が認められないとしても、また被告田口に民法第七〇九条による責任が認められるとしても、原告と被告らは友人同志であり、前項で主張したように交互運転をしていたのであるから、お互の運転に対して運行に危険のないように、安全な速度、前方注視などを指示する義務があるにもかかわらず、漫然、原告は被告田口に対して何らの指示も与えず高速度走行を許容して運転に従事させた過失がある。

第五、抗弁に対する認否

一、第一項の抗弁事実は否認する。

二、第二項の抗弁事実中、何らの指示も原告がしなかつたことは認めるがその余は否認する。

第六証拠〔略〕

理由

第一、事故の発生

請求原因第一項の事実中、原告主張の日時、場所において本件事故が発生したことは当事者間に争いがない。

第二、責任

一、被告田口の責任

〔証拠略〕を総合すると、被告田口は、かねてよりの友人である原告、被告古沢他一名とで熊谷市内にボーリングをしに行き、更に加須市内のバー「赤玉」で全員でビールを飲んだのち、原告ら三人を同乗させ鷲ノ宮町にある被告古沢宅に帰るべく国道一二五号線路上を加須方面から栗橋方面へ向つて進行中、埼玉県北葛飾郡栗橋町大字高柳二四七六番地路上附近に至つたところ、前方を注視せず前照灯を下に向け時速七〇キロメートルの高速度で漫然進行を続けたため、急に前方にとび出したネコを避けようとしたが、急制動の措置を採る暇もなかつたためやむなく右ネコを避けるため急にハンドルを右にきつたが路肩に衝突しそうになりあわてて更に左にハンドルをきつたが間に合わず、事故車を道路上に横転させたこと、および原告が右事故によつて頭蓋底骨折併脳傷、鞭打ち損傷、右肩挫傷、胸部挫傷の各傷害を負い、その結果昭和四四年一月二六日より同年一〇月一二日まで入院および昭和四四年一〇月一三日より昭和四六年三月まで通院し、加療をうけたことが認められ、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

およそ自動車運転者は常に前照灯の照射能力に応じて速力を調節することは勿論、常に充分前方を注視し、機に応じ所要の措置を講じもつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるにも拘わらず、被告田口は右義務を怠り、前記認定のとおり前照灯を下に向け照射能力が遠くまできかないのに、漫然時速七〇キロメートル以上の高速度の状態で前方を注視せず事故車を進行させた結果本件事故を惹起させたものであつて、この点に被告田口の過失があると云わなければならない。従つて被告田口は本件事故によつて原告が蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

二、被告古沢の責任

被告古沢が事故車の保有者であること、前記事故発生当時自分も右事故車に同乗してドライブを楽しんでいたことは当事者間に争いがなく、従つて被告古沢は右事故車を自己の運行の用に供していたものとして自賠法第三条により被告田口と共に原告が蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

第三、無責の抗弁

〔証拠略〕を総合すると、原告は、被告田口、同古沢とは友人であり顔見知りであつたこと、被告古沢保有の事故車に全員同乗して熊谷市内に遊びに行くためにドライブをしたこと、事故車の運転について原告ら全員の間で交互に運転する了解がついたこと、最初大宮市内に遊びに行く予定であつたが、他の一台の車が故障し、一旦古沢宅にひき返し、更に熊谷市内に遊びに行くために出発したことその際、最初大宮市内に行こうとした時は約一〇分位運転したが、熊谷市内に行つた時は道不案内のため原告は運転しなかつたことがそれぞれ認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、原告が自賠法第三条に云う「他人」にあたるかどうか検討する。およそ自賠法第三条にいう「他人」とは運行供用者、現実に運転していた者および現実に運転した者をして絶対的に服従せざるを得ない拘束状態においた(その典型が暴行脅迫による自動車強盗)者以外のすべての者を包含するものであり、従つて同一会社の従業員二名が交替で右会社の自動車を運転中、一名の過失で自動車事故を惹起し、よつて後部座席で仮眠中の他の一名に傷害を与えた場合でも、運転者にとつて仮眠中の他の一名は他人にあたると云うべきである。ところで右原告、両被告間において、右に認定したように友人同志であり、交互に運転する了解ができ同一自動車に同乗してドライブに行つたとしても、原告が運転手たる地位を離脱せずいわば共同運転手の立場にあつたとは、とうてい云い得ないのである。まして、原告が本件事故発生地域について道不案内であつた事実より推認すれば、被告らは原告をして運転せしめる意思がさほど強くなかつたことが認められる。すると原告は自賠法第三条にいう「他人」であり、まして原告が共同不法行為者であるとは断ずることができない。

第四、過失相殺

被告田口が事故車を運転中、原告が右被告田口に対し運転について何ら指示を与えていなかつたことについては当事者間に争いがない。しかして〔証拠略〕を総合すると、本件事故発生地点は道路上に障害物もなく、見とおしの良いところで車の通行も少なく、人通りは全然なく、道路端には照明灯もなかつたこと、原告は、友人である被告らと熊谷にドライブをかねて遊びに行きその帰途加須市内のバー「赤玉」で各自ビール一本位づつ飲んだ直後、被告田口に事故車を運転させ、自分は後部座席に坐つていたこと、加須市を出てしばらくした後、道路上に障害物もなく対向車も殆どなくまして人通りもない本件事故発生地点にさしかかつた時、被告田口が事故車の前照灯を下に向け、見通しが四〇メートル位しかきかないのに拘わらず時速七〇キロメートル以上の高速度で進行したことについて原告は何らの注意を与えなかつたことが認められる。

〔証拠略〕中右認定に反する部分(飲酒量の点)は前掲証拠と対比してたやすく措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで過失相殺とはそもそも被害者とそれに対する加害者との間において損害の公平妥当な分担を図るものであることは被告らの主張するとおりであるが、その割合は事故発生当時の具体的運行を基準として定めるべきものである。そして被害者が同乗者である時にはそれが通行人その他加害自動車の外部の一般人である場合と異なり、当該自動車の供用目的、使用、管理状況等の客観的事情において安易にその責任を認めることは妥当ではなく、被害者と運転者および当該自動車の保有者との人間関係、被害者が同乗するに至つた経緯およびそれによつて得た利益当該運行の具体的な目的、被害者の運転者に対する運行に対する影響力等広範な私的事情を斟酌して決定されねばならないものと解すべきである。

ところで右認点から本件事故をみるに、原告において、加須市内でたとえそれがビールであつたとしても飲酒した被告田口の運転する事故車に安易に同乗することによつて事故発生の危険性につながる生活行動ないし場をみずから選んだ点において社会一般に認められる節度を逸脱した事情が認められ、損害発生の潜在的要因となつたと考えられるから、被害者の過失に準ずるものとして責めらるべきものである。更に、原告は、被告田口の運転を積極的に妨害する行為には出なかつたものの、被告田口が前照灯を下に向け時速七〇キロメートル以上の高速度で進行した際、原告は、運転免許をもつているにも拘わらず、これをあえてとめようとしなかつた点にも責めらるべき点がある。右事情を考慮し、原告の過失と被告田口の過失とを比較すると、双方の過失の度合は、大体原告三に対し被告田口七の割合であると認めるのが相当である。

第五、損害

一、原告の入院通院治療費

〔証拠略〕を総合すると、原告は昭和四四年一月二六日より同年一〇月一二日まで埼玉県北葛飾郡幸手町の秋谷病院に入院加療し、右退院の翌日より昭和四五年七月末日までの間に通院加療した費用として金八〇〇、八六〇円を支出したことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はないから、原告は本件事故により同額の損害を蒙つたことになる。もつとも本件事故については前記のように原告にも過失があるのでこれを斟酌すると、被告田口、同古沢に対する入院通院治療費賠償請求額は金五六〇、六〇二円となる。

二、諸雑費

原告が昭和四四年一月二六日より同年一〇月一二日までの間秋谷病院に入院したことは前記認定のとおりであり、入院中一日金二〇〇円程度の栄養費その他の雑費を支出することは公知の事実であるから、原告が前記入院中の栄養費その他として主張する額のうち金五二、〇〇〇円はこれを認めることができるが、その余の分はこれを認めるに足りる証拠はない。もつとも本件事故については前記のように原告にも過失があるのでこれを斟酌すると被告田口、同古沢に対する諸雑費賠償請求額は金三六、四〇〇円となる。

三、通院交通費

〔証拠略〕によると、原告は昭和四四年一〇月一三日より翌昭和四五年一月末日までの間、東京都板橋区三丁目一一番五号の原告の兄たる訴外絵鳩元三宅より前記病院に一四回通院し、その際交通費として一回往復金四〇〇円合計金五、六〇〇円を支出し、同年二月一日より同年七月末日までの間、埼玉県鳩ケ谷市南六丁目一八番地から同病院に一七回通院し、その際交通費として一回往復金三八〇円合計金六、四六〇円を支出したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。しかして他に特段の事情の認められない本件においては、右金額は前記傷害に照らし相当なものということができるから、原告は本件事故により同額の損害を蒙つたことになる。もつとも本件事故については前記のように原告にも過失があるのでこれを斟酌すると、被告田口、同古沢に対する交通費賠償請求額は金八、四四二円となる。

四、休業損害

〔証拠略〕を総合すると、原告は本件事故発生当時二三才の健康な男子で、訴外会社に勤務していた者であるが、本件受傷により昭和四四年一月二八日から翌昭和四五年七月末日まで全く就労できなかつたこと、原告は本件受傷以前右訴外会社において、稼働日数により支給額に変動をきたす給与体系ながら少なくとも平均月二五日間は稼働していたこと、および右訴外会社の給与体系は月額給料締切日は毎月二一日であつて、昭和四四年四月二〇日までの一日平均日給が金一、二八〇円であり、同年四月二一日以降七月末日迄の一日平均日給は金一、五六〇円であること、昭和四四年度夏期分賞与として月収約金四七、〇〇〇円の者であれば金二五〇、〇〇〇円、昭和四五年度冬期分賞与として月収約金六〇、〇〇〇円の者であれば金三二〇、〇〇〇円を得た筈であること、および原告は昭和四三年二月から四月の間平均金二七、七〇〇円、同年五月から翌昭和四四年一月の間平均金三二、一〇〇円のそれぞれ月収を得ていたことが認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。すると右休業期間における原告の得べかりし利益は、訴外会社の給与体系と併せて考慮すれば、少なくとも入院日より昭和四四年四月二〇日までの間、六〇日間稼働したとして金七六、八〇〇円、同年四月二一日より昭和四五年一月末日までの間、二三二日間稼働したとして金三六一、九二〇円、昭和四四年度冬期賞与分として金一三四、六三〇円、昭和四五年度夏期分として金八九、九三〇円、合計金六六三、二八〇円の得べかりし利益を失なつたものというべきである。しかしながら前掲各証拠によれば、原告は右休業期間中訴外会社より見舞金等の名目で合計金一五五、一〇〇円の支払をうけているので、前掲金額よりこれを控除し、金五〇八、一八〇円の得べかりし利益を失なつたものと認めるのが相当である。もつとも本件事故については前記のように原告にも過失があるので、これを斟酌すると、被告田口、同古沢に対する休業補償請求額は金三五五、七二六円となる。

五、慰藉料

原告が本件事故により前記認定のとおり頭蓋底骨折併脳挫傷、鞭打ち損傷、右肩部挫傷、胸部挫傷、腰部挫傷等の傷害を負い、前記秋谷病院に事故発生の日である昭和四四年一月二六日から同年一〇月一二日まで二六〇日間入院し同年一〇月一三日から昭和四五年七月末日まで三一回通院して加療に専念したこと、等の前記諸事実に加え、〔証拠略〕によつて認められるところの本件事故によつて受けた傷害のため以前の如き鉄骨組立作業に従事することが不可能となつたことおよびテレビ等を長く見すぎると疲れると云つた事実に鑑み、原告は本件事故によつて多大の精神的苦痛を受けたことが推認される。右事実と前認定の過失の度合その他本件全証拠によつて認められる諸般の事情を斟酌すると、原告が受けるべき慰藉料の額は金一、七〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

第六、保険金の受領と充当

原告が本件事故に基く損害賠償として自動車強制賠償保険金として金五〇〇、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いがないので、原告の前記損害金に充当することとする。

第七、結論

よつて原告の本訴請求は、被告田口、同古沢各自に対しそれぞれ第五の一、二、三、四、五の合計金二、七六一、一七〇円から第六の金五〇〇、〇〇〇円を控除した金二、二六一、一七〇円および右金員に対する本件訴状送達の日の翌日であること本件記録に徴し明らかな昭和四五年一一月九日から各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条第一項を仮執行の宣言については同法第一九六条第一項を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松澤二郎)

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